美味しい言葉、肌触りのいい言葉 vs 「正しい」けど快を削る言葉
情報化社会の中で、スマホで常に言葉や活字に触れている。
言葉が氾濫して、生活が言葉で埋め尽くされて、
同じように「言葉」なのに、
触れてて味気ない、安心を削り殺そうとする言葉と
触れるだけでホッと息のつける言葉があるよなぁ。
よそ行きの「正しい」言葉って、いくら読んでも栄養にならないんだよなぁ。
なんか、借り物っぽくて、役には立つかもしれないけど美味しくないの。
海外小説で翻訳だとうわっぺらな読み味なのが、原語で触れると豊かな五感が流れ込んでくることあるけど、それに似てる。
敢えて言うなら、
AVIOTさんから発売された「TE-BD21f-pnk」通称ピヤホン。聴いてみたらこんな感じでした!なレポ漫画です。
— いしかわひろこ@筋肉ゼロでもできるズボラゆるトレ💪2022年1月13日発売! (@kumainunews) 2019年10月27日
音の良し悪しなぞ分からない私も「いい音で聴くってこんな世界が変わるんだ…!」と思えた、そんな感謝の意味も込めて!#ピヤホン #TE_BD21f_pnk #ピエール中野 pic.twitter.com/jG6SPhV0O6
こういう違い。
ビジネス書とか、Twitterで流れてくる情報系ツイートで、なんだか紙つぶてがぶつかってくるみたいな、煩わしいけど気にするまでもない、みたいな言葉にうっかり取り囲まれてしまって消耗していることがある。
「正しい」言葉って、正しいから害になるはずはないと思ってしまうけど、
正しくっても摂取しすぎると「毒になる」ことがある。
なんだか疲れたな、って思って、思い切ってそういう言葉をブロックやミュートしたら、途端に自分が楽になって、不快に感じていたんだってことに気付く。
たまに優しい言葉をくだらないとか、きちんとした言葉使いじゃないって批判する人もいるけれど。
ビジネス書の言葉って、どうしても「マッチョ」な感触がして、エネルギー充填完了してる時しか読めないんだよなぁ。
こういう本の方が、乾いたスポンジに水が沁みるみたいに安心して読める、読みたいってときはある。
こっちも暖かさレベル近い。