植物には水をやるように。思考には遊びをやりたい。
スキマ時間に読書や勉強しましょう!っていかにも素晴らしいライフハックに聞こえる。
スキマ時間をネット検索すればトップにヒットするのは、
- 電車待ち、バス待ち
- エレベーター待ち
- 移動や通勤時間
スキマ時間って、そんなにある??
学生の頃は自分では運転が出来なかったから、バスや家族の車に乗っている間が、
この時間がもったいないと思ってた。
暗い場所でも読めるように電子書籍が欲しかった。
(電子書籍が普及する前だった)
実際電子書籍がいつでも手元にある現在、そんなスキマ時間がそも取れなくなってたね……
学校に通ってた時代は、授業中ノートの隙間に他愛もないイタズラ描きを
よくしてたから、描くことが好きなんだと思っていた。
のに。
仕事をするようになって、気づくと何年も
ちょっとしたいたずら書きひとつしていなかったり。
文字はたくさん書くけど、絵のようなものは全然……
仕事の都合で、いつしか筆記用具は全部ボールペン。
鉛筆も消しゴムも滅多に使わなくなった。
適当にノートの空きになにか描いて遊ぼうか〜と思っても、
なにを?状態で手が動かないことにびっくりして。
学生時代は、とにかく席に座って教師の話を聞いていなさい、ノートを取りなさい、って時間的に拘束はされてたけど、ぼんやりしたり、空想に耽ったり、思考は自由だった。
教室の窓からただ空を眺めることもできた。
あれは、人生の受動的な時期だったからなんだろうか。
社会人になって、手が遊んでること自体が、毎日の生活の中でほとんどない。
いっそ腕が5本ほしいとか思ってしまう始末。
且つ、勤務時間に手を止めてじっくり考えようしていたら、サボっているように見えるんじゃないかと気が気じゃない。
最後に夕日を眺めたのっていつだっけ?
大人になるって、能動的に24時間を生活するようになることなんだろか。
やだなぁ。
そんなのは忙しすぎるよ。
「ヒトラーの贋札」って映画の中で、主人公(収容者)が作業に加わらないで全体を観察しているとサボるなってナチスの監督役に殴られるシーンがあるんだけど、そこで上官の一言。
「彼は考えるのが仕事だ」って。
「考える」こと自体が仕事。
それ、言われたい。
アイディアは、「三上」ともいうし、
手を止めて、思考することを許容してくれる社会になればいいなぁ。
この本では、アーティストデートっていう「遊び」の時間を設ける習慣を推奨してる。
例)
美術館に行く
雑貨屋などをのぞく
ちょっとした工作をする
音楽鑑賞
散歩
シールを貼って遊ぶ
とにかく、心に遊びをくれるもの、なんでも!