「やめる」を試してみる
日本の学校や役所、企業も、大半が4月始まりで物事を考える。
私も、幼少からの蓄積のためか、3月になると漠然とした締切でも近づいてくるような気がして、何くれとなく焦るところがある。3月31日となると、もう何かの期限が終わりを迎えたような気分になって、自分の中でいくつかのものを終わらせたい衝動に駆られる。
5年前に何気なく初めて、ずっと続けていたアプリゲームをやめる事にした。
他にも2つアプリがあったが、そのどれに対しても、「プレイしなくてもいい」という心持ちがふと生じたので、アプリゲームというジャンルから一人撤退を決めた。
ついでに、地味に増えていたNetflixをはじめ配信コンテンツ系のサブスクも一挙に解約することにした。
どれも、時たま「やめようか、どうしようか」と思うことがあったのに、今日まで決断できなかったのは、どれも自分になんらかのメリットがある、楽しい、自分になんらかの影響を与えてくれていると思っていたからだ。それらのメリットや影響(主観では、良いものだと思っている)を捨てることが感情的に偲びなかった。
でも、捨てると思わずに、お試し期間として「やめる」をやってみる、と考えたら拍子抜けするくらいあっさりと離れる手続きができた。
どれも「なんとなく」でアカウントを登録して、簡単に、難しく考えることなく始めたものだったのに、やめようと決めることは難しかった。
昨日は「始める」ことが難しいと思われがちだと考えたけれど、実は「やめる」ことの方が難しい場合もある。
何を始めるか、何をやめるか。どっちの場合でも、難しいと思った時ほど、決断は自分にインパクトを与えると思っている。
選ぶなら、難しい方にしたい。