毎日が清水の舞台

自己肯定感が低いゆえに毎日が挑戦の日々

「正しくちゃんと」が息苦しくなること、あります

正しくやろう、ちゃんとしよう、とすればするほど息が詰まって、

でも、ちゃんと正しくやるのが、「正しい」から、どんどん自分のことをがんじがらめにしてんなぁ、と思うことがある。

 

 

ご飯とか、栄養考えてカロリー制限して「ちゃんと」食べようとして、自分がやらなきゃ誰も私のためにやってくれないから、って自分を「甘やかすことなく」「ちゃんと」バランス考えて食べる努力をしてる。のに。

 

運動も、「ちゃんと」続けて、「ちゃんと」時間をつくって、色々考えて努力してる。のに。

 

読書も、勉強も、世の中で「やるべき」って言われてること、「ちゃんと」自分はやってて、それが楽しいはずだった。のに。

 

仕事も毎日「ちゃんと」進めて、期日に間に合うように、「ちゃんと」終わらせて。るのに。

 

全部全部、息苦しくて、全部全部、うまくいってないような気がして。

 

頑張って正しく「ちゃんと」やればやるほど、全部全部「やらなきゃいけない」「課題」になって、どんどん自分ががんじがらめになってく。

 

だんだん、正しいことに追いやられて、自分の「好き」がわからなくなって息がつけない状態になっていく。

なのに、「そこまでやってるのに」結果が出なくて、どんどん自分が嫌いになっている。

 

やだなぁ。

 

息抜きって、どうやるんだっけ。

私がBL(ボーイズラブ)を読む理由

アニメ「佐々木と宮野」を観ていて、

「なんでBLを読む/見るのか」という問いをキャラクターが発していて。

 

BLを好む"腐男子"宮野が、

「BLを読む男は、当人も同性愛者であるかのような偏見にあいがち」なことに悩んでいたり、

sasamiya.com

物語の中でも「BLが嫌い」とキャラクターが発言するシーンもある。

 

私も、BLを読む。

で、むしろ一定以上の対象年齢の少女漫画や、男女の恋愛ものは実は苦手だったりする。

 

なんでかなぁ、と思って。

BLを読んでて、いいなと感じている部分と、

男女の恋愛物で、なんか共感できないなと感じてしまう部分をよくよく考えてみた。

 

 

BLって、少女マンガや男女の恋愛より、

人を好きになる不安や葛藤や、

性的なことに対する 罪悪感や背徳感や、

性的欲求を抱く自分が気持ち悪いとか、

誰かに性的な目を向けてしまう自分はおかしいんじゃないか

とか、そういう後ろめたさをキャラクターが悩んでて、そこに共感できるんだよなぁ。

 

そういう"醜さ"を持ってるのは、自分だけじゃないって、思わせてくれる。

 

そう、私も、そういう葛藤や罪悪感や気持ちの悪さを自分の中に抱えている。

(性的対象が異性か同性かということじゃなく、ひとを好きになる、という部分で)

 

 


少女マンガや男女の恋愛を描いてる作品だと、そういう葛藤は描かれないし、 女の子が男の子にドキドキしたり、男性が女性に触れたいとか、身体の性的欲求を抱くことが自然なこととして、受け止めることができてることが前提で、キャラクターはそこにあんまり悩まない。

そういう(性的欲求とか心の動きに迷ったり嫌だと思う)ことがあるとは描かれない。

 

言ってしまえば、そういう葛藤を持っている読者置いてけぼりなのだ。

そういう葛藤を持っている読者がいるとは、想定されていないのだ。

 

 

恋愛そのものと向き合って、相手と向き合って、人を愛すること、人に愛されることが 幸せなことなんだって教えてくれるのって、実は BLの方なんだよなぁ……

 

とか、自分なりの理由を構築してみる。

 

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あと、これは私の好みの問題だけど、女性キャラが複数出てきて三角関係とかになってくると、嫉妬とか恋人を横取りとか、周囲まき込んでイジメとかに発展して、ドロドロしはじめるから、読んでて気分がよくないんだよなぁ。

BLなら、あんまりそういうことしないから。(まったくないとは言ってない)

その不調、「若くない」せい?「メンテ不足」のせい?

20代の同僚が、「もう若くないです」とか言ってるの、どうにも理解できないんだよなぁ。

身体がだるいとかで、整体に通ったりしているようだけど、スポーツをしてるとは聞いたことがない。

その不調、そもそも運動不足なのでは?

 

仕事で使う機械は常に点検して、定期的に業者にメンテナンスしてもらっている。

それでも10年とか使ったら「もう古いもんね」って言われる。

 

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人間の身体だって、年齢分、毎日欠かさず稼働している。

メンテしないでいたら、調子が悪くなってくるのは当然じゃないのかな。

 

授業なり部活なりで常に運動することが生活に組み込まれていて体力最大値の学生時代が比較対象の気分で、体調がよくないから「もう若くない」?とは?

当時と同じだけの運動量を自分に課して体力を維持する努力をしてなかったら、体力も筋力も当然落ちる。

なのに、パラメータ最大値のつもりで自分に負荷をかけてたら、無理が出るのも当然なのでは……?

 

仕事道具のメンテナンスはスケジュールされてる。

自分のメンテナンスは、ちゃんとやってる?

人生でいちばん、毎日聞いてる「声」の影響の強さ

自分の身体の輪郭が妙に小さく感じる。

やるべき手作業はできているのに、自分の身体がなぜか信用できない。

心を水栽培しているみたいに、根を張れてない。

不安な気分が忍び込んでくる。

それを表に出さないように、虚勢とカラ元気を張って。

 

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背筋を伸ばして、胸を張って、周囲をじっくり見渡す、「自信に満ち溢れた」身体の使い方をしても、心の重心が下がらない。

マスクしてて表情見えないだろうけど、笑顔作ってみる。治らない。

 

「困ったなぁ」

 

小さく口から出た声が、自分の耳にキンキンと響いた。

 

あれ?

 

私、こんなに鼻の上から声、出してたっけ?

 

声が上ずる、って、動揺した時や、不安な時の反応だよね。

 

もしかして。

喉の少し下の辺りから話し声を出してみる。

少しハスキーなトーンに。

上ずって不安定だった気分が落ち着く。

足が地に着いたような気がする。

 

なにこれ。

すごく楽。

 

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声。

発声。

これはまた盲点。

いやまぁそもそも見えないけど。

 

ここしばらく、仕事で会話する相手みんな、声の出し方が"高い"人ばかりだった。

額の辺りから声出てる人ばかりに、そういえば囲まれてたっけ。

たぶん、それに釣られて自分の発声も高くなってしまってた。

 

でも、"高い"発声って、自信のなさや不安の表れのことが多い。

ヒステリー起こしてる人は大体、高い声で話をする。

今まさにパニックを起こしてる人が静かに落ち着いた話し方をしていることはない。

 

 自分の声が自分を不安にさせていた。

 

身体の動きや状態は心の状態に影響される。

これを利用して、身体の状態から精神状態をコントロールする方法がNLPにはある。

なら、声の出し方でメンタルをコントロールすることもできるはず。

ふむ、発声意識。

暗く話すわけじゃない、ちょっとだけ低めに、落ち着いた声で。

 

 

声の状態からメンタルヘルス……ストレス状態や鬱とかを発見しようとする研究もあるみたい。

www.hitachihyoron.com

medical-pst.com

 

今、どんな声になってる?

I’m on a 500 day streak!

聞いて、聞いて!

細々続けてたDuolingo が連続500日になった!

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主に学習してる言語はフランス語、疲れてる時は比較的慣れてる英語の学習に切り替えてしまうこともあるけど、500日!

 

ぶっちゃけ、フランス語でニュースやドラマがわかるなんて見栄は張れないけど。

映画を観てて、あ、今知ってる単語だな、とか、知ってる言い回しだ、とか面白がることはできる。

 

自分が予想してない瞬間の、わかる、が嬉しい。

 

ありがとうDuolingo!

 

 

 

3月の心理感覚マラソン

3月に入ってから、どうにも疲れている、時間とか情報量とかやるべきこと……いろんなものに追いかけられているような気分でどうにもならなかった。

 

社会人になっても、学生の頃のリズムが残っているのか、

日本の年度がどうしても3月で終わるせいか、

毎年3月が近づき3月末に向かって進んでいくと、なにか、終わりに向かっていくような焦燥感に駆られる。

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前年度にやりたかったことが、3月が終わるとともにもうできなくなるような焦り。

やるべきことを終わらせておかないと、失格印を押されてしまうような焦り。

制限時間内にマラソンが走りきれないんじゃないか、みたいな焦り。

 

そんな焦りと、日々の気温差と気圧の変化と、

多分、花粉の影響とで、

いろんなことがうまくいかないような時期だと思う。

 

 

春ですね、とか、暖かくなって活動的になる、とか。

なんか前向きなイメージの強い3月。

 

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その前向きなイメージに乗り切れずに落ち込んでる人、意外といるんじゃないかなぁ。

 

3月。

 

旅立ちの季節?

別れの季節?

 

その実、なにもなくても落ち込む季節。

 

心配しなくていい。

わたしだけじゃない。

あなただけじゃない。

そして、331日と41日は確実に地続き。

無尽蔵な機会vs有限の時間

最近は音楽はサブスクの配信で次から次に聴ける。

 

以前はCD店やレンタル店で音楽開拓してた。これ、実は店頭にない作品に出会うことはできないってことだった。

 

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私はたまに馴染みのないジャンルの作品をTSUTAYAとかでたくさん借りて聴いて、どんな音楽なんだろ、って触れてみることがある。

その中で気に入りそうなアーティストに出会えると、ずっと自分の中の"お馴染み"になるんだけど、

 

ある時、聞いてみたいアーティストが全然店頭にないってことが起きて、代わりに配信サービスなら一通り聴ける、って理由から配信サービスに登録した。

 

正直、店頭では取り扱ってないけど、配信なら!ってものがとても多くて、今でもサービス利用が続いてる。

大変便利。

 

でも、音楽ひとつひとつとゆっくり"なじみ"になる時間はなくなった気がする。

新しく聴いた音楽ひとつ、なんとなく口ずさめるくらい覚えるには、67聴く必要があるな、と思ってて。

(これは自分の体感で出した数字だから、根拠があるわけじゃないんだけど)

 

 

passing-notes.com

 

 

その67回が、配信サービスの情報量と可処分時間の中でなかなかとれないジレンマがあるんだよなぁ。

 

出会いが増えたことは幸せなことだ。

ゆっくり向き合う時間を意識的につくることが課題。