【映画】「トロン:レガシー」完璧をもたない電脳の巡礼の世界
オリジナルより先にレガシー見ちゃって、
なんで乗り切れなかったのかな、と思ってたんだ。
うん、これは旧作を見てる人向けの映画だなあ。
電脳世界の世界観やディスクバトルやバイクバトルがどんなものなのか、
レガシーで初見だと、どういった面白さのあるものなのかから飲み込まないといけないから、旧作のゲーム説明で頭に入れておいた方が面白い。
(旧作のゲーム説明がわかりやすい)
フリンはデジタル生命体であるアイソー達を神と讃えたけど、そんなんじゃなかったんだろうな。
アイソーたちはクルーによって殺された。
それはつまり、彼らも死にうる存在であり、完璧でも神でもないってこと。
アイソーの一人であるクオラも、ズースを信用しすぎるという失敗を犯しているし、
ジュール・ヴェルヌが存命の作家だと思っているあたり子供と変わらない。
クルーの反乱の動機は、フリンから与えられた「完璧な世界を作る」という命令に従った結果だった。
クルーに反乱を決めさせたのは、クルーやトロンと希望を持って語った当初の計画を放棄してアイソーたちの完璧さ(人間とは違う情報処理の在り方)にフリンが心酔してしまったことだった。
完璧なんてない。
自らに完璧を課し、完璧という理想と現状の食い違いに耐えられなかったクルー。
完璧な神と讃えられながら、戦士としても人間としても未熟なクオラ。
フリンは完璧な世界を夢見て、あくまでも人間同様に不完全な隣人たるアイソーに完璧を重ねてしまった。
「トロン:オリジナル」でプログラムにとっての神(設計者)であるユーザーも不完全であることを示したけど、
ユーザーであるフリン(現実世界の人間)がアイソーに神を、完璧を期待してしまうのは。
自分のできないことがたまたまできる他者に盲目的に期待を寄せることは現実を見る目を曇らせる。
他者から完璧を期待され、期待を自らの在るべき姿だと思い込むことは、独裁と暴走につながる。
「トロン: オリジナル」は不完全さを素直にさらけ出し、受け入れる物語。
「トロン:レガシー」は、完璧を求めることの盲目的な危うさを戒める物語。