「嫌い」を認める勇気
「うん、ふつーに失敗した。
わたし、魚の皮苦手なんだった。」
食堂のメニューで気づかず口に入れて、反射で吐き出さないよう堪えるのに必死。
いつも自分でも注意を払わずに避けていたから忘れてたけど、苦手なものもちゃんとあった。
"好き"に対してアンテナを磨いている最中だから、苦手、嫌いのレーダーが疎かになってたみたい。
ずっと"好き"がわからなかったのと同じ線上で、私は"嫌い"も感度が低い。
人間なんだからどうしても苦手なものはある、と自分に言い続けてきて。
好きと好き以外のボーダーがなかったように、嫌いのラベルをつけるのにとても大きなハードルがある。
あくまで苦手なんであって、嫌いなわけじゃないよって誰にともなく防御線を張って生きてきた。
嫌いって言うことは、ワガママに聞こえる気がしたから。
嫌いなものを嫌いってはっきり言うことは、いい子でいるには過激過ぎる行動だった。
だから、どうしても、どうしても我慢がならない限り、嫌いは使わずに苦手って言葉で包んでおそるおそる提示してきた。
自分の好きなものがはっきりわからない私には、自分の嫌いなものもなかった。
好き嫌いはない、といえばよく聞こえるけど、それって、自分のことがわからないってことだった。
今まで"苦手"に区分してきたもの。
"嫌い"って認めなきゃいけないもの。
"好き"だけじゃなく、アンテナがまたフル稼働。
「何気ない日々」は忙しい。