一億総撮影者の時代。カメラを構える人間は、カメラに写らない。
「自分の写真ってある?」
職場で社員の自己紹介記事を書かなきゃいけないらしくて、各人写真が必要になったんだよね。
同僚の誰に訊いてみても、困った顔をする。
常々思ってたことだけど、自分の写真が自分のスマホにそんなにたくさん入ってるものかぁ???
メディアはSNSに写真を投稿するのが今時、とか、
自撮り棒を持って出かけた先で片っぱしから写真を撮っているのが普通みたいなことを煽るけどさ。
さてここでスマホを取り出して写真フォルダ開いてみて。
フリック、フリック。
ネットに流れてきて保存した画像、
食べ物とか、好きなもの……
ペットだったり、何かしらの物……生物もしくは静物。
友達だったり、家族だったり。
で? 自分写ってる?
意外なほど、自分の姿は自分のスマホの写真フォルダにない。
これじゃ、このスマホに「スマホよスマホ、君の持ち主はだぁれ?」って聞いたとしても、きちんと答えられないんじゃないかと思うくらい、ない。
コロナ禍で出かける機会も減って、いつだってマスクで顔の半分は隠れていれば、なおさら。
いざ、これはという写真が見つかっても、今度は「盛れた」写真だったりして、現実の自分の姿と乖離していたり。
持ち主が毎日肌身離さず持っているスマホ。
持ち主が毎日じっと目をその画面に注いでいるはずのスマホ。
持ち主の顔を毎日至近距離で見ているはずのスマホ。
なのに、その中のデータに、持ち主がいない。
やぁやぁ。
なんて皮肉。
ありとあらゆる生活のデータが、検索履歴が、閲覧履歴が、ライフデータが入ってるはずのスマホ。
なのに、いざ、その中から、「これが私です」って人に提示できる自分そのままの姿を見つけ出すのが難しいなんてさ。
なんでも記録して、なんでも撮っておいておけるようになって。
誰もが撮影者になって。
いつでも自分の外に被写体を探してて。
スマホを構えたあなたの姿を、誰かがあなたの代わりに撮ってくれてるんだろうか。