「努力家」よりも「努力バカ」になりたい
努力してる人が好きだ。
資格取得やスキルアップにしても運動にしても、頑張っている人は格好いいと思うし、自分もそうありたいと思ってきた。実際にいろんな資格の参考書を読んできたし、英語の勉強だって全くやっていないわけじゃない。
ただ、それらを人に話すとき、
「努力家? 多趣味?」
「いえいえ、私なんて」
「大した事をしているわけじゃありません」
そんなふうに反射で腰が引けてしまう。
だって世の中で評価されている、いわゆる「努力家」のように毎日(定期的に)ストイックに日々努力しているわけじゃない。
ふと思い立った時にアクセルを踏むように、あれもこれもと手を広げまくってきた。
結果、「努力家」になり切れない私は自分にこうレッテルを貼ってしまう。
器用貧乏
飽き性
なんにでも興味はあるけれどなんにもできない
いじけて見上げる世間の「努力家」というイメージのなんと眩しいこと。
けれど唐突に気づいてしまった。
私が「すごいな、ああなりたいな」と思う人って、「努力家」を通り越して「努力バカ」だったりする。
「努力家」って、ストイックで真面目で淡々と努力していると見えるけど、
「努力バカ」って、そこまでやる?って周りを苦笑いさせるくらい努力してるけど、当人はそれが全然苦じゃなさそうだったりする。
努力っていうと、自分のエネルギーを消費して「頑張る」ものだと思ってたし、「努力家」って言われる人たちは正にそのタイプ(に見える)。
なのに、「努力バカ」な人たちは、努力(と他の人なら考えるもの)をすることで元気になっていく。「努力」こそが彼らのエネルギー源なんだ。
なぁんだ。「努力」って、消耗することだけが「努力」じゃないんだな。
それなら、「努力家」として消耗するよりも、「努力バカ」として自分をもっとエネルギッシュにすればいい。