「最終出社日」の心理を想像する。
同僚のひとりが退職した。
家族の転勤に伴う引越しのためで、たいへん和やかな退職だった。
最終日ギリギリまで仕事の後処理に追われて、その後見送りのためにチームが集まって餞別のプレゼント。
何人かとは、今後どうするのー?とか雑談もしてて。
そんな姿を見ていて、ふと、今している会話を当人はどのくらい鮮明に記憶しているものなんだろうか、という疑問がよぎった。
私も今まで職場を移ったことはあるけど、最終出社日ギリギリまでしていた仕事内容についてはよく覚えている。
というか、作業をしている間と仕事の申し送りについては冷静でいられた。
問題は、さぁこれで終わり、とばかりに職場の見送りの儀式を受けた瞬間、完全にパニックになったことだった。
思い返しても、普段当然に行っている「相手に配慮した受け応え」ができていたという自信が全くない。
周囲からはいつもどおりの受け答えに見えたかもしれないけど、内心はハリケーンが荒れ狂っていて、会社を出て自宅に帰り着くまで目に写ったはずの景色が思い出せなかった。
そのくらい、いざ慣れた人間関係や場所から別れる、変化を生むというのは、
人間にとって大きな衝撃なんじゃないか。
いわゆる、コンフォートゾーンからの強制的な脱却なわけで。
送り出すつもりで話しかけた側は、きっとその最後の会話を退職者が印象に残していくものと思っているはずだけど、本当にそこまで冷静な心理状態なものだろうか。
そんなことを、にこやかに会話している同僚を見ながら思った日だった。